多くの人が世界三大宗教をキリスト教、イスラム教、仏教だと思いがちですが、実は信者数で見るとヒンドゥー教が仏教を上回っており、世界三番目の宗教はヒンドゥー教であると記事は指摘しています。ヒンドゥー教徒はインドだけでなく、ネパール、モーリシャス、ガイアナなど世界中に広く分布しており、欧米でも好意的に見られる傾向があります。例えば、英国のスナク前首相や米国のハリス副大統領の母親もヒンドゥー教徒です。
インドの宗教別人口を見ると、ヒンドゥー教が79.8%と圧倒的多数を占め、イスラーム教14.2%、キリスト教2.3%、シク教1.72%、仏教0.7%、ジャイナ教0.37%と続き、無宗教者は非常に少ないです。記事では、インドに根ざした他の主要な宗教についても触れています。シク教は16世紀に創始され、唯一神への信仰や平等主義を掲げ、カースト差別を否定します。ジャイナ教は紀元前6世紀に体系化され、「徹底した非暴力」を最大の徳とし、商業や金融に強い影響力を持っています。また、パールシー教(ゾロアスター教系)も数は少ないながらムンバイの経済界で勢力を持ちます。
仏教がインドで衰退し、ヒンドゥー教が盛んになった理由として、記事は複数の要因を挙げています。
* 経済的負担: 仏教は寺院、仏像、仏具、教学研究などに費用がかかり、維持が困難でした。
* カースト制度との関係: 仏教はカースト制度を否定したため、インド社会に根付いたこの制度との衝突により、社会から阻害されました。
* 王権との関係: 仏教が王権の神格化ができなかったのに対し、ヒンドゥー教は王を正当化する手段として機能しました。
* 教義の難解化: 仏教が大乗化・密教化により難解になり、在家信仰が軽視され、出家中心になったことも普及を妨げました。
対照的に、日本では仏教が神仏習合や鎌倉新仏教、民衆布教などにより普及しましたが、インドではこのような適応が進まず、ヒンドゥー教が復興していったと記事は分析しています。現代の日本の仏教にも、江戸時代の檀家制度による権力依存という問題が残っていると指摘しています。
https://agora-web.jp/archives/260227205758.html
つまり全ては「キリスト教」である
これを信者自身も気づいてないのが問題だ
大麻吸ってキマってるイメージしかないや
ニュースじゃない論説でスレを立てるな
議論は宗教板でやれ
住職は世襲制でレクサス乗り回し修行なんてしない葬儀、法事、戒名には値段表がある
んで宗教法人なので非課税っておかしいだろ
「他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民」というのは、今日社会で親の財産や地位を引き継いで裕福な暮らしをしている人たちを想像していただけばよいでしょう。たとえば政治家なども、最近では二世議員たちが親の七光りで高い地位を占めているケースが多く見られますが、これからは自分の足で歩むしかなくなるということです。自分で自分の身魂を磨いただけ、地球のエネルギーが魂に力を与えてくれるということが述べられています。まさに「自業自得」ということで、自分が蒔いた種だけを自分で刈り取ることができる世の中になるということです。
ですから、霊界が独立性を保っているかぎり、「地上天国(=神の国)」と呼ばれる新しい世界においても、民族の独立性はなくならないということです。そういう意味で、「陰の世界支配層」が進めている「サタンのシナリオ」は必ず破綻すると見るべきです。神の力を信じることのできる人であれば、決して恐れる必要はないのです。
人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談。片輪車と申してあろうが。目に見えぬ世界、目に見えぬ人民とのタテのつながりつけねばならん道理。人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。(扶桑の巻・第9帖)
ここでも同じ内容が述べられています。いま「陰の世界支配層」が、国連という看板を使って世界政府を樹立しようとしていますが、それは実現しないということです。その理由は、この物質世界は霊界の「写し世」ということですから、霊界と現界を結ぶ「タテのつながり」を作らないと、いくらこの地上の「ヨコのつながり」を作っても駄目なのです。霊界こそがこの物質世界の「元の世界」であるという仕組みを理解しないと解けない神示でしょう。
この神示を読みますと、「岩戸が開ける」というのは「霊界(天)とこの世(地)の間にパイプが通る」という意味であることがわかります。たとえば最近のスピリチュアルブームを見てもわかりますように、霊界からの通信などがこの世に伝わりやすくなってきています。日本古来の神様や聖母マリアからのメッセージ、あるいは進化した宇宙人を名乗る存在などからさまざまな霊界通信が届くようになっているのは、まさに「岩戸が開けた」ことによるものです。
ただ問題なのは、パイプは通じてもそこには冷厳な宇宙の法則が働くということです。その法則とは、私が拙著『2012年の黙示録』で詳しく説明しております「類は友を呼ぶ」という法則です。別な言葉で言えば「同じ波長のものだけが通じ合う」ということでもあります。これこそ、この宇宙を貫く大法則ということができます。
まして、現世利益を説いて人を集めるような宗教の関係者は、文字どおり「一番遅れている」人たちと言ってよいでしょう。終末の時代に大切な身魂磨きとは逆の方向に人を導いているのですから、大変罪が大きいということができます。
「天も近うなり、地も近うなる」というのは、天(霊界)と地(この世)に住むそれぞれの存在に対して述べられた言葉です。霊界にいるのは私たちの守護神、守護霊を初めとする存在です。日月神示の神様は私たち肉体人間だけに語りかけておられるのではなく、その肉体人間を守護し、導く役割を持っている様々な霊界の存在に対しても語りかけています。このことからも、霊界の非常に高い位置におられる存在からのメッセージであることが読み取れます。
言葉の意味をそのまま解釈しますと「天と地がそれぞれに接近する」ということで、先ほどの「岩戸が開けた」ことと連動しています。これから終末の大峠にかけて、その傾向はますます強くなっていくでしょう。その結果起こることは、「二極分化現象」です。同じ波長のものが霊界から引き寄せられる結果、その波長がますます強調されることになるからです。既にその現象は社会の至るところで確認することができます。「善悪」の価値基準でも、「貧富」の色分けによっても、世界的に「格差」が広がる一方です。
すでに当コーナーでもご紹介してきましたように、この神示と同じ内容は日月神示の中でたびたび繰り返されています。それをあえてここで取り上げましたのは、前後の内容との関連で改めて「カルマの法則」を確認していただきたいからです。
私たち個人のカルマであれば、自らの身魂磨きによって嬉し嬉しの出来事ばかりを呼び寄せるようになりそうなものですが、現実はそうでもありません。毎日のテレビや新聞を賑わしている異常な犯罪の数々や、政治や企業における不正事件などを見ていますと、とてもこの国に地上天国が近づいているとは思えません。
「いやなもの、きたないもの」が近寄るのは、私たちの先祖やあるいは日本民族そのものがつくり出したカルマが現象化しているからと見るべきでしょう。国のカルマは、その国を構成している国民が等しく背負うことになるのです。もちろん、人類のカルマは地球環境の破壊といった形で、世界中の人たちに影響を及ぼしていきます。「自分が身魂を磨けばすべてハッピー」とならないところが、この世界の奥の深いところです。「人類の連帯責任」と言ってもよいでしょう。
大切なことは、どんなことが起こっても不満に思わず、「これが身魂磨きのために必要なことなのだ」と喜んで受け止めるということです。「喜んで迎えると喜びとなる」仕組みを、早く会得したいものです。
本日は『ひふみ神示(下巻)』(岡本天明・筆/コスモ・テン・パブリケーション)の中から、特に終末に関して述べられた内容のみをピックアップしてご紹介します。
最近では「ひふみ神示(日月神示)」を取り上げる書籍もたくさん出版されるようになりましたが、神示ごとに解説をしている本は少なく、読めば解る内容だけを羅列して載せている本が多いようです。しかしながら、終末に関して述べられた内容は、霊的世界に関する知識を持った人でないと理解できないと思われるところがたくさんあります。むしろそのような難解な内容の中に、これから迎える終末のカタストロフィーに対する心構えとして重要なものが多いのです。
今回はそういう視点から神示の内容を選んでみました。私の解説もぜひ参考にしていただきたいと思います。
みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。じゃが皆それぞれの国は一つのへそで、大き一つのへそにつながっているのであるぞ。地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、また自ずから異なる小天国ができ、民族の独立性もあるぞ。一色にぬりつぶすような一家となるように思うているが、人間の浅はかな考え方ぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのじゃ。(秋の巻・第9帖)
欧米でヒンドゥー教>仏教と判断するのなんて、それこそインド系移民だけだよ
日本は第二次世界大戦の同盟国だったドイツやイタリアと違って、原子爆弾の投下という人類史上最大の大量殺戮を体験しながら見事に立ち直り、しかも昭和天皇が《現人神》でなく《人間》であるとの宣言をするという、西洋だったら暴動が起きても不思議でないほどの大転換をしても、それを何の抵抗もなく受け入れた国民性、また民族の生命とも言うべき日本語が無疵(むきず)で残ったという空前絶後の歴史的事実の背後に、日本の国土と国民の統括責任者である守護神の強力な働きかけがあったものと考えるのである。
スピリチュアリズムの常識の一つとして、人間の一人ひとりに守護霊がついていることが分かっている。魂の親という見方もできるが、必ずしもその守護霊自身が分霊を出すとはかぎらない。その霊団ないしは類魂団の最高統括霊が分霊を出し、その統括霊が適切と見た霊を守護霊として任命するという形も多いようである。
これと同じことが国家や民族にもあって、地球全体を統括する神、即ち地球神がそれぞれの国家や民族の守護神を任命する。日本の古典ではそれをおとぎ話ふうに擬人化して述べてあり、地上の出来事のように解釈されがちであるが、霊的に解釈すると実に意味深長で、よほど優れた霊媒を通じて得られた霊言が根底になっていることが分かってきた。ただ残念なのは、キリスト教のバイブルと同じく太古からの神話・伝説が付加されていることで、その霊的検証はニュー・ミレニアム、即ち21世紀に課せられた大きな、しかも実に興味深い課題であると信じている。
注意しなければならないのは、守護霊Guardian Spiritとか守護天使Guardjan Angelという用語は、日本語も英語もともに「守る」guardという文字が用いられているために、あたかも母親が我が子を保護するように、何でもかでも守ってくれるのが仕事であるかの印象を与えがちであることで、実際はそうではないことを理解しないといけない。
守護霊および守護神の本来の任務は、第一が地上に生を受けた人間および民族の使命を貫徹させること、第二は前世からのカルマの解消を促進させることで、要するに大きくは人類全体、小さくは類魂全体の進化のためにという至上目的があり、それを阻止しようとするものから守るということはあっても、カルマの解消にとって避けがたい苦難から免れさせるようなことはしない。しようにも出来ないのである。因果律という、不変不滅の絶対的摂理があるからである。
それはさておいて、以上の論旨を広げていけば《かんながら》の思想は日本固有のものか外来かという問いかけへの回答は容易に導き出せるであろう。日本という国土そのものにそうした霊的思想を生み出す国魂が存在し、その背後に守護神の働きかけがあり、そこで生を営むものは、そこに生まれついた者であろうと外国からの渡来者であろうと、その波動の影響を受けて日本人らしさをそなえるようになるものなのである。
そのことは中国からの帰国子女や世界各国の二世・三世を見れば、その風貌や雰囲気がすっかりその国のものになっていることからも窺える。生まれた国、育った国の国魂と守護神の波動を受けたからである。




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