
卑弥呼を女王とする邪馬台国がどこにあったのか、いまだに論争が続いている。駒澤大学名誉教授の瀧音能之さんは「北部九州連合と瀬戸内海東部・畿内連合の大連合によって誕生したのが卑弥呼政権であり、王都として未開拓の畿内が新たに選ばれたと考えられる」という――。
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■「スサノオ=朝鮮半島からの難民」説
タウポ火山による異常気象は日本や中国のみならず、当然のことながら古代の朝鮮半島にも大きな影響を与えた。『魏志』韓伝では、農民たちが流して韓(朝鮮半島南部)に流入する者が多くいたと記録している。さらにドミノ式に、中国や朝鮮半島の難民が北部九州へと流入してきた。
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スサノオはもともと朝鮮半島の神である可能性が高く、『日本書紀』一書には、地上世界に追放後、朝鮮半島に降り立った後に船で出雲へ来訪する物語を伝える。そのため、スサノオは渡来人を仮託した存在と見ることもできる。
スサノオの訪問に対するアマテラスの対応は、朝鮮半島から流入する難民に対して、警戒する北部九州の様子をあらわしているとも考えられる。
■難民の流入で北部九州は荒れていった
スサノオは侵攻の意思がないことを示すために誓約(うけい)という古代の儀式を行った。これによって潔白が証明されたスサノオはアマテラスのもとに滞在することが許された。ところが、スサノオは田の畔<あぜ>を破壊して埋める、御殿に糞便を撒き散らす、といった悪行を重ねた。
これらのスサノオの悪行とは、北部九州に押し寄せた難民の姿をあらわしているのではないだろうか。北部九州では、難民受け入れ後の土地や住居、食料の不足などによる混乱があったことをあらわしているように読み取れる。
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ところがスサノオの悪行はエスカレートして、馬の皮を剥いで機屋(はたや)に投げ込む暴挙に及び、これに驚いた機織りの女官は女陰を突いて亡くなってしまった。これは難民による暴行をあらわしているとも読み取れる。
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■神議に集まった神々はどこから来たのか
記紀では、天安河原の神議を開催するにあたって主催者は特に記されておらず、主語は「八百万の神々」となっている。「倭国大乱」によって盟主的存在が失われている状態が、ここからもうかがえる。
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神議に参加した神々にゆかりが深い地を見てみると、アメノコヤネ(河内)、アメノフトダマ(讃岐・阿波・紀伊、タカミムスヒの子)、イシコリドメ(大和)、タマノヤ(イザナキの子=淡路島)となっており、瀬戸内海東部から畿内にかけての諸勢力が集まっていることがわかる。
ここから見えてくるのは、北部九州との通商交渉のための、瀬戸内海・畿内連合の誕生である。瀬戸内海沿岸部に広がった高地性集落の分布だが、実際に戦闘が行われた痕跡はほとんど発見されていない。北部九州が朝鮮半島からの難民に対処するために結束したのに対して、瀬戸内海東部から畿内の勢力もまた、競争・対立ではなく、連合する道を選び、鉄の安定確保のために一大経済圏を構築したのである。
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■纏向遺跡は卑弥呼政権の王都以外ありえない
天岩戸開き神話に象徴される北部九州と瀬戸内海東部・畿内の大連合によって誕生したのが卑弥呼政権である。この卑弥呼政権には、アマテラス系統であり北部九州を代表する神聖王(卑弥呼)と、吉備のタカミムスヒ系統で瀬戸内海東部・畿内を代表する執政王(男弟)の二重統治体制でスタートしたと考えられる。
『魏志』倭人伝では、卑弥呼が立てられたのは188年頃とされる。タウポ火山の噴火から10年弱で卑弥呼政権は誕生したことになる。
卑弥呼政権の王都があった邪馬台国がどこにあったか、現在でも畿内説と九州説を主として論争が続いているが、ここでは畿内説を取ることにする。
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畿内説のウィークポイントは、北部九州の先進性に対して、畿内の後進性が挙げられる。畿内勢力は銅鐸文化圏を形成した一大勢力ではあるが、北部九州や吉備、出雲などに対して、強力な首長は誕生せず、鉄器や銅鏡などの出土数が少ない。
しかし、これまで述べてきた通り、卑弥呼政権はアマテラス系統の北部九州とタカミムスヒ系統の吉備を中心とする勢力との連合政権であり、畿内は必ずしも中心地ではない。二重統治体制を取るにあたって、北部九州と吉備は互いの本拠地を王都にするのではなく、まだ未開拓の畿内が新たに選ばれたと考えられる。(以下ソース)
10/9(木) 17:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3577711607c1e125540ee50e24393bceb79bf9c1
紀元前ならともかく紀元後の歴史すら分からないとは文明後進国はどうしようもねえな
現在進行形だからな
今も歴史を記録してないんだぜ、この国はw
日本列島にもともといた人たちは北海道と沖縄に逃れていった
はい詐欺
卑弥呼を自分たちと同じ渡来人にしたくてたまらないらしい
読み取れる読み取れるって、、、なんでわざわざ起きた事実を作り話風にするんだよ
あったことはあったこととしてそのまま記せばいいだろ
大陸や朝鮮半島からの難民が流入して国が荒れたならそっくりそのまま書き残せぱいいじゃねえか
こういうわけのわからない無茶な解釈するから無駄に難しくなるんじゃねえの?
九州と畿内の2択でしかない考えてないから、永遠に正解にはたどり着けないんだよw
魏志倭人伝の頃から大陸と交流が合った記録が九州側にはあるけど、畿内にはほとんど無いし、のちの遣唐使制のお粗末さからも交流経験の無さが表れてる
なんで卑弥呼にこだわってるん?
どこでもよくないか
纏向に新都市が建造される前の日本の首都は、近江だよ!
別の嫁から産まれたのが衣慮(壱与)
衣慮は6歳で扶餘王に共立された7年後に倭国王に共立された
官職に六畜の名称を用いるのも扶餘族の証
↓
西山古墳(最初は前方後方墳で建造されてたのが途中から前方後円墳に変更)
↓
箸墓古墳(最初から前方後円墳として建造)
卑弥呼の墓は平原遺跡っぽい
だったらアマテラスの出自はどこなんだよ?
九州か?半島か?大陸か?
台与の墓が箸墓
に、一票
だからどうなるのか
まんじゅうでも作りたいのか
わからないでいいじゃないの
わかるよ…じゃあ挿れるね…
この分野で?
奈良は観光資源色々あるんだから何もない佐賀に譲ってやれよ
特派員が書いたわけじゃない
伝聞のこたつ記事だろ
エンタメのネタ程度にしとけ
いつまで経っても証拠は出てこない
九州にも巨大なクニがあったことは各所の遺跡からも明らかなんだから、九州の邪馬台国が畿内の大和に滅ぼされたと考えるのが極めて自然だろ
学者の発言とは思えん妄想だらけだな
魏の使者が邪馬台国まで来たって、それ、どこ情報?
そりゃ軽く見られるわ
駄文で1500年以上名を残してる陳寿に謝れ!w
奈良?どこの海?
あきらめろん
スサノウをアマテラスに接続して
さらにオオクニヌシと接続
そして出雲ダッシュ これがヤマトの
記憶 邪馬台国は出てこない
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